〒660ー0055 尼崎市稲葉元町3ー10ー7
Phone & Fax: 06ー6417ー0563

1931年~1981年
1931年
8月25日 兵庫県尼崎市守部地域に暮らす同胞たちに福音を宣べ伝えるために、呉泰守氏が当時神戸で宣教活動中の L.L. YOUNG 宣教師に後援を要請した。その結果、神戸中央神学校に在学中であった金致善神学生が派遣された。
11月25日 武庫村下澤19番地の松永氏宅の一部屋を借用し、伝道所として発足した。この時に尹正錫氏とその妻・李小述氏が最初に入信し、地域社会で活躍する方々が次々と出席するようになった。
1933年
4月 武庫村今北字小袋57番地に小さな木造建物の教会堂が新築された。
8月 夏季教会学校を開校し、教師6名・学生50余名が参加し、教会学校が本格的に始動した。
9月 台風の来襲により教会堂が全壊した。
11月 金致善牧師がアメリカ留学に出発し、後任に崔成坤副牧師が赴任した。崔副牧師は祈りを重ね、短期間のうちに新たな木造スレート葺きの教会堂を再建した。臨時堂会長は L.L. YOUNG 宣教師から文宗洙牧師が受け継いだ。
1934年
4月 教会の付属機関として養民幼稚園を開園し、後任の教役者として李チャンミン牧師が就任した。当時の教会員は30余名であった。
1935年
3月 養民幼稚園の第一回卒業式を挙行し、5名の卒園者を輩出した。臨時堂会長はハンテウク牧師であった。
5月 関西中会(現・地方会)を本教会堂で開催した。
11月 在日朝鮮基督教守部教会として昇格し、新築された教会を献堂した。教勢:40余名。
1936年
6月 L.L. YOUNG 宣教師と金致善牧師が博士学位を取得し、感謝礼拝を捧げた。臨時堂会長に金致善牧師が就任した。
1937年
5月16日 朴又甲執事を初代長老に将立した。
1938年
5月15日 尹正錫長老を第2代長老に将立した。
1939年
5月11日 李守弼牧師が初代牧師に就任した。教勢:壮年50名、教会学校65名。
1940年
金銀礼伝道師が初代女性伝道師として赴任した。
6月 張龍伊執事が第3代長老に将立された。
1941年
1月 秋達伊執事が第4代長老に将立された。
12月 太平洋戦争が勃発し社会情勢が激変した。朝鮮人教会が認められず、強制的な措置により、日本基督教団傘下への編入を余儀なくされた。同時に教会名も「武庫川教会」に改名された。この時から礼拝において必ず日本語で説教することになり、日本人刑事の監視のもと、非常に厳しい状況が続いた。
1942年
弾圧にもかかわらず教会は成長を続け、教勢は男子20余名、女子40余名、教会学校生徒50余名に達した。
1943年
2月 織田楢次牧師を講師に迎えて、初めて復興聖会を開催し、豊かな恵みにあずかった。
3月 安鳳圭執事を第5代長老に将立した。
9月27日 第2代長老の尹正錫長老が召天した。
1944年
張重良執事を第6代長老に将立した。
1945年
2月 太平洋戦争の悪化により空襲が激しくなり、信徒たちは疎開し教勢が衰えた。尼崎教会と武庫川教会は合併した。
7月15日 堂会長の李守弼牧師は戦時中に帰国した。
8月15日 解放の鐘の音と共に、散らばっていた信徒たちが再び集まり始めたが、無牧の状態ながら、金守東執事と金晩俊執事を中心に約20余名が集まった。
1946年
朴命俊牧師(大阪教会)が臨時堂会長に就任した。
1947年
10月 織田楢次牧師を講師に迎えて伝道集会を行い、豊かな恵みにあずかった。
1948年
5月 崔正洙伝道師が赴任し、臨時堂会長に織田楢次牧師が就任した。教勢:洗礼37名、学習9名、教会学校47名。
1949年
6月27日 礼拝堂新築起工式を挙行した。
10月 在日大韓基督教会総会を本教会で開催した。金守東氏・金晩俊氏の二名の執事を第7代長老に将立した。教勢:洗礼61名、学習9名、教会学校76名。
1950年
3月 西宮市と宝塚市に伝道所を設立した。
1951年
8月 教会員の中で数名が尼崎伝道所に分立した。
10月 崔正洙牧師が第2代牧師に就任した。教勢:壮年70名、教会学校61名。
1952年
6月 教会堂献堂式を挙行した。教勢:壮年102名、教会学校86名。
1955年
4月 李月仙伝道師が赴任した。
1957年
4月 崔正洙牧師が辞任し、崔京植伝道師が臨時に代行した。臨時堂会長に丁仁寿牧師が就任した。教勢:洗礼者44名、学習者4名、教会学校50名。
12月29日 趙宗協牧師が第3代牧師に就任した。
1958年
7月 趙宗協牧師が旅券満了により帰国した。
1959年
7月29日 臨時公同議会を開催し、崔京植講道師を招請することを決議した。
9月 崔京植講道師が赴任した。教勢:洗礼者43名、学習者3名、教会学校45名。
1960年
5月29日 崔京植牧師が第4代牧師に就任した。
11月 宗教法人の認可を受けた。
1961年
11月 呉允台牧師を講師に迎えて、創立30周年特別集会を開催した。
1964年
6月16日 崔京植牧師のカナダ留学により、北部教会の裴淇煥牧師が臨時堂会長に就任した。
1966年
崔京植牧師のカナダ留学中に李炳球講道師が臨時に講壇を守った。教勢:男子15名、女子41名、合計54名。
9月 崔京植牧師がカナダ留学より帰任した。
1967年
若い婦人会が組織された。李炳球講道師が高等部を担当した。教勢:男子18名、女子51名、合計69名。
1969年
2月より 仁川国際霊園内に納骨堂の建立を開始し、教会員全員が一丸となって取り組んだ。
1970年
2月 崔京植牧師が本教会を辞任し、ソウル忠現教会の協力牧師となった。臨時堂会長に李宗憲牧師が就任した。
1971年
4月25日 黄在正牧師が第5代牧師に就任した。
10月23日 黄在正牧師が急病により召天した。尹宗銀牧師が臨時堂会長に就任した。
1972年
5月13日 下関教会で牧会していた洪永其牧師が赴任した。
6月25日 洪永其牧師が第6代牧師に就任した。
1974年
ソウル総会神学大学に特別献金を捧げ、寄宿舎の一室を提供した。
外国人に対する行政差別撤廃のため、執事と青年が尼崎市長に公開質問書を提出し、良い回答を得た。特に児童手当については1975年4月から外国人にも支給されることが確約された。この活動が日刊紙に掲載され、広く知られるようになった。
1975年
4月より 外国人子女にも児童手当が支払われるとの確約を受け、教会の活動が日刊紙にも報道されて広く紹介された。
1976年
本教会堂前のし尿処理場建設について、兵庫県知事・坂井時忠氏に公開質問書を送り、責任者の意向を確認し対策を検討した。
教勢:男子26名、女子54名、合計80名。
1977年
し尿処理場問題で度々当局と協議し、抗議文を知事に送付した。
4月 大邱東進教会の金昌濂牧師が神戸改革派神学校留学中、本教会の協力牧師として奉仕した。
1978年
1月15日 公同議会で礼拝堂を建築し、地域宣教と社会奉仕を目的として保育園も併設することを決議した。教会の土地と基金を提供し、建築委員会を組織した。
5月28日 金吉雄執事が第8代長老に将立された。
7月9日 教会堂新築起工式礼拝を挙行した。
7月30日 洪永其牧師との意見対立があり、金晩俊長老が辞任した。
9月17日 上棟式を行った。
9月24日 大邱東進教会と姉妹教会の関係を結んだ。
11月30日 教会堂工事が竣工した。
12月10日 新会堂への初入堂礼拝を行った。
12月14日 申請していた社会福祉法人の認可が厚生省から降り、すぐに教会堂の隣に保育園の建設を始めた。教勢:男子28名、女子59名、合計87名。
1979年
3月30日 保育園園舎が竣工した。
4月2日 保育園開園式を挙行した(定員60名)。
4月20日 保育園竣工式を関係当局・市当局者の参列のもと、盛大に挙行した。
6月10日 林秉魯・禹永吉執事が第9代長老に将立された。
11月18日 ソウルソンイル教会と姉妹教会の関係を結んだ。教勢:男子26名、女子60名、合計86名。
11月25日 新築された教会堂の献堂式を挙行した。
1980年
1月 創立50周年記念行事準備委員会を結成した。国際宣教委員会を設置し、韓国と台湾の開拓伝道を支援することを決定した。
6月19日 宣教基金のための特別献金を実施して宣教基金500万ウォンを準備し、その利子を用いて、韓国・仁川で開拓伝道中の李聖雨牧師(京仁教会)を毎月8万ウォンで支援することとした。また韓国の神学生2名の 学費支援も行うこととした。教勢:男子24名、女子63名、合計87名。
1981年
新年査経会を李浩文牧師(崇義教会)と厳基鉉牧師(清州)を講師に迎えて挙行した。
4月19日 求道者歓迎会を行った(求道者18名)。
5月 金鐘漢牧師(大邱山光教会)が協力牧師として奉仕した(神戸改革派神学校留学中)。本教会聖歌隊が韓国の教会を親善訪問した。
6月 大邱神学校の建築のために100万ウォンを支援し、江原道・長城中央教会の建築のために50万ウォンを支援した。
11月18日〜22日 李浩文牧師を講師に迎えて、創立50周年記念特別復興会を開催した。
11月22日 創立50周年記念式を挙行し、大田中央教会の李営寿牧師と仁川京仁教会の李聖雨牧師を特別招請した。



